2011/11/01

forever

Yoshikawa-san、Forever





■ 第一部 ■│ profile │ 12345678910 │ 11121314151617181920 │ 21222324252627
■ 第二部 ■│ profile │ 12345678910 │ 11121314151617181920

20(第二部)

 日本経済の低迷=デフレの状況は未だに出口の見えない厳しい見通しの中にあります。御承知のように新聞やテレビで連日報道されている経済に関する様々な論評や分析を見聞きしても、一体この先どのようになってゆくのか? 社会全体が暗中模索の状態であるように思います。11/24の朝日新聞は、今後の景気についての記事に多くの紙面を割いていましたが、5面に連載中の「経済漂流」では、1998年当時のITバブルに関する記述がありました。私はその記事の中で触れられていたIT系企業やその経営者の方々と面識がありその当時にも色々な場面でお会いしたり、具体的なビジネス上のおつき合いもありました。渋谷区を中心とした「ビットバレー」と呼ばれる地域に本拠を置いている新興ベンチャー企業のいくつかとも仕事上の直接の関係があったり、情報交換などもしていました。この朝日新聞の記事の通り、1998年頃のIT系業界は全体的に「浮かれた」ムードが漂い、世間の不景気感とはかけ離れた「異常」な雰囲気がありました。団塊の世代以後の30代や40代前半のビジネスマンが主役となって、新しい事業や新しい市場を生み出そうとする気運が高まっていました。旧世代や旧秩序に対する強い不満を背景に、日本の長期不況と対照的なアメリカの好況との矛盾を目の当たりにしながら、IT産業における日本の「遅れ」に着目して新しいビジネス・モデルやテクノロジーを導入する新規事業が数多く立ち上がったのです。

 こうした一種異常な「ムード」の中で、私自身もデジタル革命とインターネット時代の真只中で仕事を続けてきたことと、アメリカの凄まじい変化を実感していたことによって、日本の新しいマーケットの誕生を確信していました。基本的にその「確信」は現在でも変わっていないのですが、その新しいマーケットの誕生には様々な条件があること、とりわけ産業構造の転換に繋がる巨大な社会システムの変化については、私の想像を遥かに越えるエネルギーが必要なことについては、その「ムード」の中では正直なところ気がついていませんでした。ソニーの一員であった頃にはデジタル産業への転換は日常的なことであり、プレイステーションとバイオの成功やソネットの立ち上げも順調に進んでいて、私の関わった新しい事業はいずれも順風満帆に推移していると見えていたからです。携帯電話は急成長し、i-modeの登場でインターネットも一気に普及していました。スターバックスやユニクロは急速に店鋪を増やして増収増益、UFJやディズニー・シーも大盛況、ホンダやトヨタも業績を伸ばしていて、日本は本当に不景気なのだろうか? と思う程に、IT関連企業に限らず新しいビジネス・モデルやテクノロジーをグローバルな視点で展開する企業はしっかりとした業績を上げていました。それは2002年の現在でも言えることなのですが、例えばここで例に挙げたスターバックスやユニクロ、UFJの場合は今年に入って少し様子が変わってきた様です。携帯電話ビジネスも急成長期から安定期に入ったと言われますし、自動車も2001/9/11のテロ事件後のアメリカ経済の減速によって先行きが不透明になってきました。

 改めて1998年頃の私は、ネットワーク・ゲームの開発と市場性に傾注していて、インターネットの新しいエンタテインメント・コンテンツとしての将来性を探っていました。ソネットにおけるポストペットの成功に気を良くして、次はネットワーク・ゲームだ! とばかりに気負い込んでいたとも言えます。1997年のアメリカでのビジネス・ショー「E3」で発見したコロラド州デンバーのベンチャー企業VR-1社との出合いや日本のITバブルを演出したいくつかの企業との関係によって、ゲーム・ビジネスの新しい展開や制作業務の変化について、とくに新しいテクノロジーの必要性を強く感じていたことも背景にありながら、目の前で演じられているいくつかのバブル劇の有り様に気を取られていたことも否めません。VR-1社との関係は1998年初頭頃から急速に密接なものになりました。まずはソネットで取り組みを始めたネットワーク・ゲーム・サイトのメニューとして、VR-1の深海シミュレーション・ゲーム「SARAC」のライセンス契約交渉が始まりました。(このゲームは現在でもソネットの「Party Crew」でサービス中の本格的なリアルタイム・マルチ・プレイヤー型のネットワーク・ゲームの一つですが、このゲームのオペレーションにVR-1社の基幹サーバー技術である「コンダクター・ソリューション」が使われています。これはMicrosoft Gaming Zoneが提供している戦闘機バトル・エア・シミュレーター・ゲーム「Fighter Ace」を代表として、アメリカ以外にもライセンサーを開拓しており、VR-1のネットワーク・テクノロジーの中核を形成する技術です。)この「SARAC」のライセンス契約交渉を通じて、VR-1社CEOだった30代半ばの若いビジネスマンMike Monitz氏との交流が始まりました。Monitz氏はハーバード・ビジネス・スクール出身の若き秀才であり、彼のパートナーであるテクノロジー・サイドのTOPで、当時31才だった天才型のMark Vange氏とのコンビネーションはアメリカンITベンチャーの典型的なスタイルを持ち、世界各国の多くの有力企業や投資組合などの資金を集めてIPOを目指して精力的に活動していました。Monitz氏はMicrosoftやHewlett PackardなどのIT系企業ばかりでなく、米軍関係者やカナダのエンジェル、コンピューター業界の年金ファンドなどの投資家を開拓し、98年当時で約1億ドルの資金を集めていました。私は彼のその若さと情熱に大いに感服して、アメリカの新しいビジネスのダイナミズムを目の当たりにして正直、圧倒されました。そして、この若き経営者に日本の市場と投資家についての情報を提供し、ソネットとのライセンス契約以上の個人的な関係を築いて、彼とVR-1社をサポートしようと思ったのです。

19(第二部)

 ネットワーク・ゲームへの関心は私の中でどんどん大きくなって行きましたが、その最大のきっかけは1997年頃から続々と登場したネット対戦型ゲームのサイトでした。中でも簡単なアプリケーションですぐに始められるPIA-to-PIA型の少人数ゲーム、例えば将棋や囲碁、マージャンといった私にとってはとても馴染みのある国産ゲームのサイトにはまりました。将棋や囲碁については、かつてパソコン通信の時代からネット対戦のフォーラムやSEGAの囲碁サービスなどが存在しましたが、いずれも一対一の対戦ですからそれ程の驚きはなかったのですが、4人リアルタイム対戦のマージャンは新鮮でした。当時の人気No.1マージャン・サイト「東風荘」には、毎晩最低2時間は繋いでいました。日に日に登録者数が増加しサバーの負荷増大のためになかなか繋がらなくなったり、対戦中にしばしば回線状態の不安定でゲームが中断したり、同時チャットやメッセンジャー・ソフトが加わってサービスの幅が広がったり・・・毎月のペースで何か新しい試みが追加されて行く様子はインターネットの急速な広がりと進歩を手に取るように見聞きすることの出来る一つの大きな現象でした。

 前回もご紹介したアメリカのソニー・オンライン・エンタテインメント社は「Ever Quest」の開発に着手していて巨大な予算を投じて「マルチ・プレイヤー型ネットワークゲーム」の一つの理想形を模索していました。同時期にMicrosoftは3Dエア・コンバット・シミュレーターのマルチ・プレイヤー・ゲームを開発し既にサービスを始めていました。いずれもPCゲームソフトのサバイバルを目指して、プレステやサターンなどの家庭用ゲーム機に対抗する新しい遊びの方向として「ネットワーク・ゲーム」を選択したのです。そして、このMicrosoftの戦闘機対戦ゲームの開発を行った制作会社を知ったのは1997年にロス・アンゼルスで開かれたコンピュータ・ゲームのエキスポ「Electronic Entertainment EXPO E3」でした。このエキスポの最大の目玉はもちろんプレステとサターンでしたが、任天堂を加えた日本の3大メーカーのアメリカ市場での熾烈な競争を象徴する巨大なブースに並んで、日本のゲーム・ショーにはあまり登場しないPCゲームの制作会社が多数参加していました。アメリカの大手ゲーム・ソフト会社もゲーム機用のソフトと並んでPC用ゲームを数多く手掛けていて、日本とのPCの普及度合いの違いを浮き彫りにしていました。その中で、ブースのデザイン、社名とそのロゴのユニークさによって異彩を放っていた制作会社の一つで、デンバーに本社を構えるという「VR-1」という会社に強い興味を覚えました。

 ネットワーク・ゲームの技術はゲームの設計力を裏付ける通信環境に関する知識とインターネット上のサーバー周辺技術によって支えられています。現在の日本ではブロードバンドへの急速なシフトが進んでいますが、5年前のアメリカではやっと14.4Kから28.8Kへのが始まった頃でした。PC内蔵モデムが標準化した頃でもあります。この頃のいわゆる「ナローバンド」環境でのネットワーク・ゲームは、サーバー/クライアント型のマルチユーザーを対象とするゲームを目指していたとは言え、現実的には世界中で完璧なシステムを達成したところはまだ一つもありませんでした。「VR-1」社の目標はこの「サーバー/クライアント型マルチユーザー対応ネットワーク・ゲーム」のプラットフォーム作りであり、実証例として先に述べたMicrosoftの3Dエア・コンバット・シミュレーターを稼動させようとしていたのです。この97年のEXPOではβ版のデモを見せていましたが、この戦闘機対戦ゲームの他にもタンク・バトルや潜水艦シミュレーター、RPGなど10種類近いゲームソフトのデモを行っていました。「VR-1 Conductor」と呼ばれるフロント/エンド・サーバーの制御機能はゲームのみならず、インターネットの様々なサービスへの応用も考えられるユニークなもので、インターネット通信の根本的な欠点に対する有力なソリューションでもあったのです。

 私はこのユニークな技術を有するベンチャー企業に強い関心を持ち、So-netのゲーム・サービスへの利用を考え始めました。この会社に出資していた投資家にはMicrosoft、PSI Net、ドイツ・テレコム、ヒューレット・パッカードなどの有力企業グループが名を連ねていましたが、日本からの投資にはさほどの関心がなかった様子でした。私はソニーを始めとして、国内の投資家を見つけることも考えながら、この会社の技術力と高い理想に共感していました。このEXPOからの帰国後に日本市場とのアクセスを仲介するLAのコンサルティング会社とその日本窓口の会社から、全く別途のルートの照会を受けた時には偶然とは言え何か「縁」を感じて、早速具体的な接触を開始しました。その時の私のステータスは、So-netのエグゼクティブ・プロデューサーでしたが、既に私の古巣であるソニー・ミュージックを退社して、POW社というゲーム制作会社の役員を兼務していました。このPOWの創立者である和田氏と専務の本山氏とはSMEのマルチメディア本部の時代に、いくつかのユニークなPS用ゲーム・タイトルの制作を共にしていました。その縁もあり、和田氏の暖かい支援によってPOWの役員に招聘され、同時にSo-netの山本社長のご配慮によってエグゼクティブ・プロデューサーとしてのステイタスも頂いて、ネットワーク・ゲームを中心とした新しいインターネット・コンテンツの開発を委嘱されました。この二つの重責を担って、インターネットの最先端とも言えるアメリカのベンチャー企業との付き合いが始まってゆきます。

18(第二部)

 デジタル時代の本格的な始まりの時期=1995年前後は日本国内はバブル崩壊後の景気停滞期であり、一方アメリカはITブームが巻き起こる好景気の真只中にありました。この時代の先端にあった新しい産業市場の担い手は国内で言えばソフトバンク、NTTドコモ、ソニーに代表される企業で、その周辺にハードウェア&ソフトウェアに加えてコンテンツという(古くて)新しい担い手が注目を集め始めます。「コンテンツ」という言葉が一般化したのはまさに1995年頃からですが、デジタル革命がもたらした新たな価値の表現です。端的な例は音楽や映像の「記録」であり、アナログからデジタルへと記録方式が飛躍的な変化を遂げる中で、放送と通信の融合が進んでいるプロセスと同時進行で、アナログ記録のデジタル変換技術や大容量データの圧縮技術が急ピッチで開発されました。

  放送にとっての「プログラム」はコンピューターにおけるソフトウェアと同様に、インフラ(=ハードウェア)を機能させるために最も重要な「要素」であり、ネットワークの概念も放送における放送局同士の連係という形で発展してきました。CNNのような「ニュース専門」チャンネルなどは特にニュースソースの「売買」をビジネスの中心に据えた新しいタイプの放送局であり、メディアの価値を「コンテンツ」に置いて成功した最も典型的な例という事が出来ます。彼らにとっての最大の収益源は全世界の放送局との「ネットワーク」であり、そのネットワークを維持発展させるための最大の「商品」は彼らが独自に集めるユニークなニュース・コンテンツです。そのニュース素材を絶え間なく、しかも誰よりも早く収集し、全世界に配達することが最も重要な仕事であり、その為に取材のネットワーク作りと取材方法の開発には巨大な投資をし続けています。「ビデオ・ジャーナリスト」の育成などはその典型的な例ですが、一人でカメラマン、エディター、インタビュアーそしてコメンテーターをマルチにこなす人材を世界中に開発してきました。インターネットの発展はこのような放送の「コンテンツ」についても、放送局とならぶ新たなパーソナル・メディアとして取り込んで行くことになりました。つまり、元来「双方向」を前提とする通信がPCを端末とする回線経由の「一方向」通信として使うことによって、放送の機能を包含することになったのです。

  So-netでの「コンテンツ」ビジネスの展開について、「ポストペット」の次に何をやるか? 1997年頃、既にアメリカが先行していたインターネット向けコンテンツ開発の中でも「放送」のパーソナル化を睨んだ試みは比較的遅れていました。最大のネックは「コンテンツ」のデータ容量の大きさと回線速度の遅さでした。ストレスなく放送並みのクォリティを提供するにはユーザーの通信環境も非力でしたし、また動画の送受信などはデータの大きさから見て10年は無理とすら考えられていました。そうした高いハードルを前に、果敢に技術開発を進めていたアメリカの企業がありました。一例はアメリカのリアル・ネットワークス社であり、アカマイ社です。リアル社はストリーミング技術、そしてアカマイ社はキャッシュ技術の会社で、どちらも現在では世界標準と呼べる技術を提供するまでに成長しましたが、いずれもインターネットの弱点を解決するために、基礎技術の研究に精力を注ぎ込んできた新興企業です。その基礎技術の中核は「データの圧縮」と「データの蓄積」を軸としたものですが、データベースと回線の間に置かれる中継用のデバイス・ソフトウェア(ミドルウェアとも呼ばれます)の技術開発です。一方、プラウザーの機能についてはMicrosoftのInternet Explorerの独占に等しい状況の中、動画再生のプラグインとしてはMacomedia FLASHが標準となりつつあり、またストリーミング用にはリアル・プレイヤーが一般化し始めていました。

 Sonyのオンライン・サービス会社としてはアメリカのソニーオンライン・エンタテインメント社(SOEA)が1996年に設立され、アメリカで音楽配信やネットワーク・ゲームのサービスを始めようと動き始めていましたが、この会社自体は基本的にサービスとマーケティングの会社であった為、技術面ではソニー・ピクチャーズとソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のサンディエゴのPC部門が支える形でした。(この楽歴書で前回触れたデモンストレーション・イベントはこのSCEのPC部門が行ったものだったのです。)このSOEAの代表は有能な女性プロデューサーで、私も何度かニューヨークで彼女と会い、色々な議論を重ねました。特に当時、既に日本国内やシンガポールなどでヒットの兆しが見え始めていた「ポストペット」の米国版ライセンスの売り込みを行いましたが、残念ながら彼らには小学生以下の「子供用ソフト」としてしか見えなかったようで、キャラクターの魅力や可愛らしさを高く評価してくれたものの、アメリカでは「子供」がPCを使ってメールをやり取りするのは全くリアリティがなく、また「ポストペット・パーク」のような有料サービスサイトを小学生が利用することは親が認めないとの見解を得ました。(このようなキャラクターへの認識のギャップは「ドラクエ」や「キティ」も同様で、アメリカではヤング層も一緒になって愛玩するアニメ系のキャラといえば彼らが子供の頃に馴れ親しんだディズニーものやアメコミ系に限られています。すなわち日本産の、しかも最近のキャラクターについては大人の層には愛着もなく、あくまで「子供用」のキャラとしてしか写らない現実があります。)このSOEAとの接触の中でアメリカのインターネット・コンテンツ・ビジネスのリアルタイムな動きを色々と見聞し、最先端のテクノロジーやマーケティングの情報を数多く学ぶことができました。So-netのコンテンツ・ビジネスのこれからの方向性について、やはり先行するアメリカの技術の導入は不可欠だと感じました。

17(第二部)

 前回は「ポストペットパーク」のコンセプトについて書きましたが、その中で触れた「バーチャル・ワールド」のことをもう少し掘り下げてみたいと思います。まずは身近な素材として、「ファイナル・ファンタジー」のネット版を取り上げたいと思いますが、6月のサービス開始から夏休み期間中を通して、最近の一日当りのアクセスは約12,000名程度と言われています。ブロードバンド常時接続ユーザーが80%ということですが、相変わらず深夜の接続が70%でサーバーの負荷は午前0時前後にピークになるようです。当初の予想通り、コア・ユーザーの平均年齢は20歳以上ということですから、明らかに高年齢のハイエンド・ゲームユーザーのためのソフトウェアということになっています。

  ネットワーク・ゲームは私にとっても大きな「テーマ」です。およそ6年前にインターネット・ベースのネットワーク・ゲームの開発に着手しましたが、先行していたアメリカでも28.8Kモデムをネクストスタンダードとして位置付けていたほど、電話回線ベースの通信速度環境の条件設定は不確かなものでした。理論的な「リアルタイム」のネットワーク・ゲームはLAN上ではほぼ完全に実現されていました。もちろんゲーム・カテゴリーによる難易度の違いはありましたが、マルチ・プレイヤー・ゲームの原型といえるアクション・ゲームの「コンバット・シュミレーター」を12台のLAN上のPCで対戦している様子を見たのは95年、米シリコンバレーのゲーム制作会社でのことです。この時の驚きは、既にグラフィクスが3DCGで作られていたこととそれを動かす200MHzCPUの驚異的なスピードを目の当たりにしたことでした。現代の感覚で言えば200MHzCPU搭載機などは秋葉原のジャンク・ショップであれば\10,000程度で売っているようなレベルですが、わずか7年前には超高速の最先端であったことを思うと恐ろしい位の進化のスピードです。このCPUスピードの驚異的な進化に比較して、通信環境の方はかなり遅れているという印象です。この7年前の時点ですらFTTH(家庭用の光ケーブル網)は米国では時間の問題だとの認識が一般的でした。ITバブルに突入してゆく頃のイケイケのアメリカでは当然のことだったかもしれませんが、この頃のアメリカ各地で開かれたコンピューター関連のビジネスショーにでかけるとこうした「夢」のネットワーク社会の到来は西暦2000年をひとつの転機として一気に実現されるという論調で埋め尽くされていました。

 さて、ネットワーク・ゲームの究極型は「マルチ・プレイヤー・オンライン・ゲーム」のバーチャル・ワールド・ソフトウェアだと直感したのは1997年にサン・ディエゴのスタジオでプレゼンテーションを受けた時でした。このプレゼンテーションは、一部の関係者にのみ行われたアメリカのソニー・オンラインという新会社のネットワーク・サービスの内容説明で、その目玉として紹介された「エバー・クエスト」のプロトタイプ・コンセプトでした。この「エバー・クエスト」は、ロールプレイング・ゲーム・スタイルのマルチ・プレイヤー・オンライン・ゲームの、現時点での最高傑作であると共に、最も成功した、また最もお金のかかっているゲームです。正式スタートから3年を経過した現在でも世界一のプレイヤー数を誇るゲームであり、かつバーチャル・ワールドの最大の具体例だとも言えるでしょう。ここで展開される「世界」はRPG定番の中世的世界ですが、いずれ近未来を想定した映画「ブレードランナー」のような世界で展開されるバーチャル・ワールドでのシミュレーション・タイプのRPGが登場する予定を聞いていますが、それが実現されると「仮想と現実」の境界がますます曖昧なものになってゆくような気がして、ちょっと恐ろしい気持ちになるのは私だけでしょうか。

 バーチャル・ワールドのソフトウェアのアイディアは、これまでのところはコマーシャル性を求める結果、ハリウッド映画のアクション系作品のようなものが大半です。「マトリックス」「ブレイド」「MIB」などの近未来設定のハードコア・ムービータイプが多いために、「殺戮」や「戦闘」といったより一層生々しい「ゲーム・エレメント」が強調されがちです。リアリティが追求されればされるほどサディスティックな世界が展開され、非現実ではありながら異常者やサイコキラーのようなキャラクターがこれでもかというほどに登場する「ワールド」がネットに多数存在するようになるでしょう。エキセントリックなエンタテインメントであるとは言え、バーチャル・ワールドの「裏」の世界がそれほどまでに繁殖すると、ますます青少年への悪影響などが懸念される事態が想定されます。アメリカではゲーム・ソフトにもいわゆる「R指定」が存在しますが、映画やゲームとは比較にならないほど「バーチャル・ワールド」でのシミュレーションがもたらす人間への精神的・心理的な影響は大きいと思います。テクノロジーの進歩がもたらす「負」の効果として、バーチャル・ワールドには私たちがこれまでに未体験の領域が沢山含まれているだけに、時として大きな不安を感じます。PS2の「僕の夏休み」やアニメーションの「千と千尋」のような「仮想世界」が主流になってくれたらなぁ、と思いつつ、我らの「ポストペットパーク」の目指す「世界」の楽しさを、これからもっともっと多くの人に体験してもらいたいと願っています。

16(第二部)

 現在のSo-net HPのメイン・コンテンツの一つに「ポストペットパーク」がありますが、この「パーク」が正式オープンしたのは97年の5月だったと思います。以来、「パーク」のメンバーは延べ200万人に達し、まさに「ビッグサイト」の一つに成長しました。「ポストペット」の面白さと魅力の半分は、この「パーク」の存在によると思います。電子メールソフトとしての「ポストペット」は「ポストペットパーク」によって単なるメール・アプリケーションとは違う、新しいエンタテインメントの世界を生み出しました。IT時代の到来によって様々な形で語られていた「バーチャル・ワールド」のまさに最も具体的な事例として、世界的にも例を見ないユニークなコンテンツ・サービスであると言うことが出来ます。

 この「ポストペットパーク」のコンセプトは、大きく2つのアイディアによって形作られています。一つは「ポストペット」のアプリケーションとしての機能をウェブサイトを通して拡張するという事であり、もう一つは「ポストペットユーザー」同士の相互コミュニケーションをウェブサイトによって促進するという事です。そして、この2つのメイン・ファンクションをユーザーに幅広く活用してもらうための「仕掛け」の充実が「パーク」の楽しさを一層引き立てるということを、企画のメンバーは当初から「ディズニーランド」などのテーマパークの手法の中に見出していました。シーズン・イベント、キャラクター・ワールド、アトラクション・ゾーン、ショップ&イートといったテーマパークのエンタテインメント・レイアウトをバーチャルに展開するという構想が現実のウェブサイトとして皆さんの支持を得られたという例は他にはほとんど見ることが出来ません。その点でもたいへんユニークな存在であり、またオープン当初に大きな反響を呼び、業界的にも注目を集める事になったのだと思います。

 ネットを利用して様々な情報やサービスを受けたり利用したりということは現在では当たり前の事になりました。かつての「VAN」や「WAN」といった言葉を知っている人もほとんどいなくなってしまう程に急速にネット社会は進化しています。ところが、こうしたネット・サービスの90%はリアル・ワールドの置き換えにすぎないのです。もちろん従来は不便であったものが飛躍的に便利になった例は沢山あります。それによって一部の人のものだったサービスが幅広い人に開かれたサービスに生まれ変わった例として最も端的なものは「オークション」でしょう。(私自身は「フリーマーケット」のネット版として捉えていますが、実は「古物」のオープンな販売には本来は行政への登録と許可証が必要なのです。現在のネット・オークションはあくまで「個人対個人の取引」という前提ですが、実際には多数の「業者」が存在します。「リサイクル・ショップ」同様、時代的な背景も手伝ってネット・オークションは急速に広がっていますが、ここでの「儲け」を所得として申告している人は少ないでしょう。)「ネット証券」は正規の手続きを踏んだ上で、小口の個人投資家を開拓することに大いに役立っています。証券会社のセールスを介さずに自主的に資金運用をしたい人には最適なシステムです。(もちろんここでの「儲け」は所得対象ですが、こちらの方は税金の支払をきちんと行うように「ネット証券会社」の指導も行き届いているようです。)航空券やホテルの予約といった「トラベル」サービスでは、旅行代理店を介さずにダイレクト・コンタクトをする人々が増えて来ました。各航空会社のサービスもダイレクト・コンタクト・ユーザーに色々なインセンティブを用意しています。しかし、こうした事例はいずれも従来のサービスをネットによってよりスピーディーに、より幅広くオープンで便利な姿に進化させていますが、あくまでもリアル・ワールドのサービスです。

 「ポストペットパーク」は、リアルな「テーマパーク」を便利で、利用しやすいものにしたのとは全く違います。この「テーマパーク」は完全にバーチャルな「想像上」のパークですから、そこで楽しんでいるのは基本的には「ペット」であり、いわゆる「ベット・オーナー」であるユーザーは自分の楽しみ方をいわば「シュミレート」していることになります。コミックスや映画、ドラマ、ゲームと同様に「仮想現実」を追体験する面白さを楽しんでいるのですから、完全なエンタテインメントであって、言い換えれば具体的なメリット、つまりお金や情報、時間といったリアルなメリットはまったくありません。ここで得られるユーザーのメリットといえば「笑い」や「驚き」や「シンパシー」といった情緒的な感性の領域の事柄です。(唯一の例外が「メル友」探しでしょうか。)メールソフトとしての「ポストペット」は、電子メールを送受信するするためのアプリケーションであることはもちろんですが、その機能はむしろ二次的な、あるいはゼロ次的な機能です。もちろんメールでやり取りされる内容はリアルな世界の「メッセージ」として重要な意味を持っていますが、そのメールにくっついてくる「ペット」は全く別の世界の存在で、このリアルとバーチャルの組み合わせが他に例のないユニークなエンタテインメントとして、多くの皆さんに関心を持って頂いたのだと思います。そして「ポストペットパーク」は、メールを運んでくる「ペット」の存在を単なるメールのアクセサリーに留まらないバーチャルなリアリティを感じさせる存在に感じさせるための大切な「場」なのだと思います。

15(第二部)

 「バーチャル・ペット」という言葉が流行りだした97年頃は、「マルチメディア」という言葉が徐々に古臭い表現に感じられるようになってきた頃でもありました。日本国内のPC市場はアメリカの動きに追随して急激な普及のペースに入り、その最大の原動力は言うまでもなく「インターネット」でした。そして、「マルチメディア」は「IT」に変わり今日に至っていますが、既に2002年の今年にはアメリカの「IT」バブル崩壊という経済情勢を受けて、表現としての「IT」という言葉も陳腐化してきたような気がします。一方「バーチャル・ペット」は、97年当時の「たまごっち」のレベルから大きく様変わりして、リアルなロボット犬「AIBO」の登場によっていよいよ本格的なバーチャル・リアリティのレベルに進化してきました。「癒し」待望の時代と言われる日本の現代社会の一面にどこかで繋がっているのかもしれません。「ポストペット」の発想の原点には、特に「癒し」を意識した考えはありませんでしたが、結果として多くのユーザーの皆さんからの反響の中には「ボストペット」キャラクターたちへの温かな思い入れの様子が述べられていて、そこには本物のペットに対するのと全く変わりない「主人」たちの姿、思いが表れていました。

 さて、こうした「バーチャル・ペット」を考える場合には極めて重要な先端テクノロジーが必要となります。皆さんも良くご存知の「AI=人工知能」の技術です。一口に「AI」といっても、その中身やレベルには大きな幅があり、「思考ルーチン」と言われるプログラムは携帯型ミニゲームや家電のマイコンレベルの制御プログラムにも組み込まれていますが、一種の個性を感じる「キャラクター」を表現するようなプログラムになるとかなり高度なものが必要になります。「ポストペット」の場合も企画、開発の初期段階で、「キャラクター」の設定に関して多くの議論がありました。差出人の分身となる「キャラ」がメールを運ぶ、という設定には、まず最初に大きな二つの形式があります。一つは、差出人の完全な代理としての「キャラ」である場合です。この方法は「キャラ」は差出人が任意に設定する自分自身の完全な「代理」として、差出人自身の意志によって「性格」を制御します。このケースでは「AI」のレベルはそれほど高度ではありません。もう一つは、「キャラ」自身が意志を制御する高度な「AI」を組み込んだケースです。この場合、差出人は好みの「キャラ」を選択できますが、その行動を完全に自分の意志でコントロールすることは出来ません。プロジェクトでは、まずこの「AI」のレベルを巡って様々な議論が展開されました。グラフィカル・インターフェイスを伴った電子メールソフト、という単純な話ではなかったのです。「AI」のレベルによっては、このソフトのプログラムは際限のない巨大なものになってしまいます。時間も労力も、そして技術力も、すべての意味でこの「AI」レベルがソフトの中身を決めるといっても過言ではありません。

 企画の初期段階では、もう一つの大きな課題がありました。OSの問題です。そもそも、「ポストペット」のプロトタイプはMacOS上で作られていました。電子メール・ソフトとしての通信関係のプログラムはMacOSとWindowsOSでは少し考え方が異なります。基本的にはTCP/IPプロトコルによるインターネット上の通信ソフトですが、「ポストペット」はメール本体と「キャラ」ファイルのセットで通信する前提ですので、いわばメールに特殊なプログラム・ファイルを常に添付して送受信する事になります。この特殊な添付ファイルは、データであると共に相手側のアプリケーション上で動作するプログラムを含んでいますが、様々なプロバイダーのメール・サーバーを経由して、正確にOSの互換性を取って相手側に届けるためにはいくつかの課題がありました。単なるテキスト・データのやり取りとはレベルの違うメール・ソフトとしての完成度が必要だったのです。このOSの互換性については、初期のユーザーの方々は特にご記憶だと思いますが、サンプル・プログラムの配付が始まった頃から約1年間はMacOSのみのアプリケーションとして発表されました。そして正式にパッケージとして発売された「ポストペットDX」のバージョンはver.1.11となっています。この1年余りの間、プログラムを担当した幸喜君を中心としたプログラム・チームは連日連夜の徹夜作業と言ってもよい程のハードワークを続けていました。そして、テスト・バージョン・ユーザーの皆さんからも本当に沢山の貴重なデータやアドバイスを頂きました。

 「ポストペット」のアイディアは、こうして具体的な現実のアプリケーションとして完成して行くのですが、私をはじめとして、原作者の八谷さん、真鍋さん、そしてソネットの北村プロデューサーの構想は、単にアプリケーションとしての「ポストペット」の実現だけを考えていたのではありませんでした。先に触れた「AI」の問題と共に、WebSiteとしての「ポストペット」であり、ネット上のバーチャル・テーマパークとしての「ポストペット」ももう一つの大きなテーマであり「夢」だったのです。「ポストペットDX」は、1997年度のマルチメディアグランプリで栄えある「通産大臣賞=グランプリ」を受賞しましたが、この受賞の大きな評価ポイントは、アプリケーションとしての完成度に加えて、連動したWebSiteによる「ネットワーク・コンテンツ」としてのユニークさが注目されたからです。

 次回は、このWebSiteとしての「ポストペット」について、書こうと思います。